| @どうしてこうなったのだろう......? 2003.2.20 |
|
|
|
●2002年秋にふっとわきあがった「政治してみようかな」という思い。政治は大袈裟かもしれないけど、北海道に帰ってきてから『地域興し』的な活動にずいぶんとはまっていた気がする。学生時代から自治会活動はかなり積極的にこなしてきたから、僕は根っからそういうことが好きなタイプに違いない。
●でも、「政治家」という言葉からはほとんど良い印象が持てないのも事実。むしろ感情的には嫌いな人達のような気がする。だから「政治する」と言うことを自分の中に取り入れようとするのは、自分らしくない気もした。
●月形へ来てからの17年、本当にたくましく生きる人達に多く出会った。ちょっともやしっ子的なところがあった僕にはとても勉強になったし、生きることの楽しさや素晴らしさを教えてもらった気がする。田舎で暮らすと言うことはとてつもないエネルギーを必要としていて、それらをこなしている多くの人達は尊敬してしまうぐらいエネルギッシュだと思う。でも、それ以上に苦労を強いられている現実が僕には悲しく思えている。
●頑張っているのに認められないことや、頑張りたいのにそうはさせてくれない現実の仕組みを変えていかなければいけないと思う。
●だれがやるのか?それは、そう思った者が自ら始めなければなにも変わらないと言うことを知っている自分に大きな問題を何年も投げかけ続けていた。
●去年の秋、なんかふっと吹っ切れた気がする。 |
|
|
|
| Aどうなってるの?もったいないよ。 2003.2.22 |
|
|
|
●出馬表明もしていないのに....なんだか噂だけが凄いことになってきた。ある候補予定者に気持ちを話したのがいけなかったらしい。わざとに広められた感じだ。相手の作戦に上手く利用されたには違いない。基本的にこういう場合はお人好しが馬鹿を見ることになっている。分かってはいるけど、性格だからしょうがない。
●それにしても、本人を無視して勝手な話が横行するこの町の体質は相変わらず凄いなぁと思う。ましてや4年に一度のお祭りみたいな選挙だから、ホントめちゃくちゃ。この住民パワーほかに使えないものか....これも何とかしたいことのひとつ。
|
|
|
|
|
|
|
|
●きっとこの町では、多くの候補者が地縁や血縁などをベースにして票を集めているのだろうから、よそから転入したそれらと無縁な者が選挙に出ようと思ったら,、あてにできるのは「浮動票」というやつだけなのだろう。でも、誰もがそれを集めて当選を確実なものにしたい訳だから当然奪い合いになる。そう簡単には手に入らないと言うことだ。田舎の選挙の非常識さはそんなところにもでてくる。
●浮動票獲得の手段として、「選挙カーによる名前の連呼」が代表的だ。僕はどうしてもその行為が信じられない。申し訳ないがうるさいだけだと思ってしまう。「電話作戦」というのもいただけない。名前をいくら叫ばれても、その人が何をしようとしているのかが伝わらなければ判断のしようがない。浮動票の多くは、その判断材料がないから浮動しているのだと思う。難しいことだけど、選挙カーから叫ばず、大いに政策を発表して、時間がとれる限りできるだけ多くの人に話を聞いてもらう。そんな選挙がちょっと正しいような気がする。
●政策や、理念の無い?もしくは表現しない候補者と争うのがこの町の選挙だとして、手段や方法を選ばずに当選する人がいたとしてもあまり評価できない。仮に立候補しなくても、立って落選してもその活動が正当なものであれば、そういう人はこの町の将来にとって大事な存在だと思っている。もちろんそういう人に当選してもらいたいと一番願っている。そういう人を正当に評価できる町だとも信じている。
●選挙運動が始まっている。一部を除き、あまり感じ良くない。この時とばかりに運動するからだ。今だけ調子良いこと言われても困る。選挙民は普段から見ているものだ。日頃の活動こそ自分のすべてと知ってもらいたい。候補者は、頼んででも1票入れてもらうことより、普段から1票入れたくなるような日常を送ることに専念すべきだよね。そしたら選挙運動しなくて済むし。それにしても事前運動は違法。困ったものです。 |
|
|
|
|
|
|
|
●先日町内5カ所で町主催の「合併問題懇談会」が開かれ終了した。うまくお店の休みと重なったので、僕は19日の「知来乙」へ参加した。ここに来て急に騒がしくなった合併問題だけど、説明を聞けば聞くほど難題だとの印象。本当にこれは難しいぞ...しかも時間がない。いったいどーするの?
●町の説明は、「合併してもデメリットの方が多い、しないで自立するのもかなり困難、結局いい話は無いんですよ。みなさんどうしましょう?」といった感じ。この問題のとらえ方の違いからか今後の政策を示すまでの状況には至っておらず、完全に乗り遅れた感じ。せめて、たたき台ぐらい欲しかったので、「何していたの?」と質問してみたが、「何もできなかったし、する状況になかったんです。」との答え。おいおいこの町どーする気なのさ。
●さて、現実問題。合併するとしたら相手は岩見沢。好む好まざるにかかわらず、これはどーにもならないらしい。そうなったら、岩見沢の一部としか認識されないこの月形にどれだけの予算とサービスを持ってこれるのか?残すことができるのか?吸収合併をこえて合併消滅の道に成りはしないか?
●また、合併しないで単独生き残るとしたら、大きく二つの問題がある。一番は予算が減少し続け最終的には破綻。しばらく持ちこたえたとしても、国の今後の出方次第で「強制合併」。この場合、自治体としてのイニシャティブはもう地の底だ。やっぱりどっちも駄目ジャン。
●かなりの意識改革と積極的な行動を必要とするが、とれる道はこんな感じだろう。「合併されても旧岩見沢の言いなりにはならず、むしろ予算を付けたくなるような地域に発展させる。」か「単独でもやっていけるだけの町に発展させるよう努力し続けることとして、国には法律を作らないように働きかけ続ける。」もちろん後者はギャンブルだ。
●「難しい問題だから、みなさんの意見を聞いて....」と言われても、こんだけシビアだと、誰も決められないんじゃないかな。いずれにせよ、必死にやっていかないと後でどうにもならなくなるのははっきりしてしまったんだから、ここは気分盛り上げて「町興し、町づくり」。現状では、その気のある市民が積極的に活動しないとこの町は変わっていけない。役場が何でもしてくれるわけじゃありません。そろそろ気がつかないとね。 |
|
|
|
|
|
|
|
●我が家にとって、この町に来てからの生活で重大なことが2つある。ひとつは「MELON JAM」。移り住んで3ヶ月目に開催された第1回は、「開放的なこの環境で野外コンサートをやったら気持ちが良いだろうなぁー。」という至極簡単な動機で始まった。幸か不幸か今や17回も続く我が町の名物イベントになった。おかげで、それに関わり続ける生活をしてきたことになる。1にMELON JAM、2に仕事、3.4が無くて5にご飯。子供たちも含めてそんな生活だ。
●MJの17年を振り返って一番つよく心に思うのは、この町への「感謝」だ。やる方は好きで勝手に盛り上がるのだからけして文句は言えない。むしろやり続けさせてくれたこの町の懐の大きさに感謝している。確かに最初からO.K.だったわけではないけれど、理解を示してくれる人達がいて、そのおかげで続けることができている。なんかその点は素直に「素敵な町」だと思う。
●もうひとつは、恥ずかしながら「火事」である。あの時は本当に多くの人に迷惑をかけてしまった。生涯最大の不祥事と認識している。まさに取り返しの付かないことをやってしまった僕ら家族を、この町は温かく見守ってくれた。おかげで新たな情熱を持つことができ、再建することもできた。今の生活は本当にこの町に支えられて成り立っていると感じでいる。当時の善意ある人々とその行動に、今でも心から感謝している。
●この月形で地縁、血縁のない僕たち家族が幸せに暮らしていられるのは、この町の人々の暖かさとおおらかさのおかげだと思っている。お世話になりながらも、この町に根付いてみようと思っているのは、この町のそんなところが好きになったからに違いない。もちろん嫌なところが全くないわけではないが、それは直してしまえばいい。
●恩返し?口幅ったいが「自分のできることはキッチリやってみよう。」と思っている。 |
|
|
|
|
|
|
|
●ひと月ほど前に管内で最も早い地方選挙がありました。長沼では、52年ぶりに女性議員が誕生。北村では、初めて農民議員でない議員さんが誕生しました。まだほんの微風ですが、新しい風は間違いなく吹き始めたと思いました。
●この町に来て、仕事柄女性や若者と接することが結構あります。おもしろい話や、いい話、ためになることや、新しい感覚などを吸収させてもらっています。でもじつは、それらより不平不満を聞くことの方がなぜか多いのです。
●どこの田舎でもそうですが、この月形も「男社会」の印象がぬぐえません。開拓時代からリーダーシップを取ってきたであろう男性の自負が今も生活のあちこちに見受けられます。極端に言えば、とりあえず女.子供は黙ってろ!ということでしょうか?しかし、現実的にはもっと柔軟で多様化した考え方を要求される時代になっている気がします。思っているより、女.子供が正しかったり。
●お父さんが「何とかなる」と言っていた時代は終わり、「どうにもならなくなってしまった」時代が来ています。お母さんや、息子達がどう考えて今まで付いてきていたのでしょう。多分、意見はあっても言えなかったような気がします。
●新しい町づくりを考えるときに、男らしいこだわった頑固で昔気質な...etc....な感覚ではないものが必要な時代です。女性や若者の柔軟な発想や新しい視点を大いに採用していかなければならないと思います。女性や、若者意見がたくさん採り入れられ、女.子供が文句を言わない社会。
実は、お父さんにとって一番好きな世界じゃありませんか?
|
|
|
|
|
|
|
|
●議員さんは町のため、町民のために働きます。仕事に見合った報酬をもらいます。当たり前のことでしたね。でも以前から疑問に思っています。僕は、働いた分はキッチリ貰うべきだけど、議員だというだけで発生する報酬は無駄かな、と思っています。これは僕の持論なので、ちょっと無理があるかもしれません。
●町を良くしたいと思うのは町民すべての願いだと思います。そのためにいろいろ考え、行動し、努力をするのは町民の義務です。でもすべてのひとが同じことを望んでいるとは限らないので、民主主義のルールに則って何をどうするか決めていきます。簡単に言うと地方議会はそれだけの役目です。であれば、議員さんは単にみんなの意見の代表者ということになります。では、みんなとは?働くお父さん.お母さん、おじいちゃん.おばあちゃん、会社を経営する人、雇われている人、学生、宗教者、健康な人、障害を持つ人、それに子供たち。まだまだ含めてみんなですよね。
●みんなの代表は、選挙で決めることになっています。でも、みんなの中から候補者が選ばれて出ているとは限っていませんよね。好きで立候補する人もいるわけです。そういう仕事がしたいとか、議員として奉仕したいとかという理由でです。これはボランティアですよね。そして、選挙があるわけだから、候補者は一生懸命自分の町をどう良くしたいか主張することになります。後は話を聞いてみんなの代表に相応しい人を選ぶだけです。ボランティア議員って簡単でしょ。
●いっそみんなボランティアで立候補してくれればいいな。そうすると、最初に書いたように報酬がいらなくなってくるでしょう。無駄はなくなるし、やる気でやるボランティアだから良い仕事しますよ、きっと。
●そんなんじゃお金にならないし誰も立候補しない?じゃぁ、何のために立候補するんだろうね。うーん......
でもヨーロッパにはそういう村がいくつもあるって聞いたよな。調べようっと |
|
|
|
|
|
|
|
●ここ2週間ほど調子が上がらない。理由は分かっているのだけれども、ちょっと落ち込むと言うよりしらけてきた感じ。美味しいと評判のお店に入ったつもりが、出てくる料理どれもが既製品をレンジでチンしただけ.....みたいな気分。なんか違うぞ。これはやっぱり変だ。美味しいという評判は何だったんだ?
●日頃から、月形の町のことを話題にすることがある。住んでる人が皆満足しているわけではないから不平、不満いろいろ出てくる。口をそろえて「何とかならんのか!」そう、何とかしなけりゃいけません。何とかしなけりゃ、このまま年老いて、夢も希望もないままに廃れ逝く町とともに墓場行きですもの。せめて生きてるうちに何とかしましょう。
●いろいろ解決していかなければスッキリ生活できない問題がいっぱいあるのに、追い打ちかけるように合併問題は待ったなし。誰かが何とかしてくれる?いいえ、誰もあてにはできません。だって誰も責任感じて考えていませんよ。町長だって、「どっちにしようかな?」とお悩み中です。自分で決めなきゃなりません。
●「町を変えたい、変わってもらいたい」という評判を聞きつけて、それではと意気込んでみたら、出てくるセリフは「変わりっこない」「あきらめてる」「どうにもならない」「しょうがない」の無責任オンパレード。力も抜けるというものです。だったら文句を言っちゃいけません。現実をそのまま受け入れることができるなら不平、不満はないはずです。文句言うなら、責任持ちましょう。
●「町を変える」。簡単なことじゃありません。一人、二人がわめいてどうなるものでもありません。でも、無責任にあきらめて自分の主張や意思表示のチャンスを放棄していては、本当にこのままです。まず自分の考えを持つ。そして、行動しましょう。始めなければ、始まらないのです。
●真顔でいいオヤジが言う「イヤな町だね月形は、昔からこうだ、そういう町だから。選挙したって何も変わらないよ、今までズーッとそうだった。せめて、町長でも替わればね、少しは....いずれにしても月形は月形だから。今度はどうなるのかね。」
僕は言う「イヤな町のままにしているのも、町長を決めたのもあなたの責任ですよ。」
「誰の町?」子供たちはきっぱりと「僕らの町です。」
さぁーて、月形の大人はどう答えます? |
|
|
|
|
|
|
|
●今日は、「STAFF M.J.」の役員会です。先ほどから9人の若者が激論しています。テーマは、「青年交流会」。STAFF M.J.は自らの予算を使って毎年「青年交流事業」を主催しています。教育委員会の事業にも「青年交流会」という名の青年交流事業が毎年組まれています。彼らには、この小さな町で目的が同じなら、できるだけお金をかけないためにも共催していこうという考えがあります。しかし、教育委員会の求めるものと、自分たちのやりたい交流事業とに隔たりがあるように感じて話がまとまりません。「別にやればいい!」とタカ派は強硬です。「でも...?」とハト派。いずれにせよ、どんな交流会にすべきか真剣に討論しています。
●僕は相談役なので、基本的に意見をひかえています。聞こえてくる話に、苦笑したり共感したりしながらも、この町の問題がどんどん浮き彫りにされていくのを平気で聞いてはいられません。交流会のテーマを「合併問題に」という意見が出れば、「それは別の機会に」と反対意見。「合併問題には時間がないんだぞ!」とまた反論。
●この町にもいろいろな問題があります。きっとあちこちで、いろいろな人達によって酒を飲みながらでも様々な意見が毎日飛び交っているのでしょうね。皆、意見を持って考えているはずです。どうするかは、議論の結果、自らの思いとなって意思表示することになるのでしょうが、それらをどうやって町政にとどけるのでしょう?ただ、飲んだ上での話として終わってしまうのでしょうか?
●昨日、某青年に「マスターにとって議員とは?」と問われました。「町の声を町政に生かすための仕事をすること。もちろん自分のアイディアを加えて。」と答えました。
●まだ、彼らの議論は続いています。とても熱いものを感じます。このエネルギーや貴重な意見が町づくりに活かせなかった今までは、見直すべき過去だと思っています。町政までとどけなければなりません
|
|
|
|
|
|
|
|
●巷は、道知事選、道議選のまっただ中。町のあちこちで選挙カーの声を聞きます。まさに選挙戦。彼らの意識の中には「戦う」というイメージや「勝つ」というイメージがしっかりとインプットされている感じです。いったい何と戦っているのでしょうか?
●道知事選や道議選、市町村長選挙ぐらいまでは、マスコミも個々の政策などをそれなりに取り上げていますが、町村議会議員となるとまったくその機会は与えられていません。それらの政策などは、ほとんどたった1度の公選ハガキに書かれるのがやっとです。そのハガキも、大きな顔写真と名前だけの場合があります。選挙人は候補者の考えや政策をどうやって知ればよいのでしょうか?また候補者はそれらを選挙人にどうやって伝えてようとしているのでしょう?ひょっとして政策は無い?
●ひとりでも多くの人に自分の考えを伝えるために、僕はチラシを作ることにしました。僕の名前が書いてあるチラシを事前に使用することは選挙違反になります。政治団体のチラシはO.K..なので、「同志隊」を作り活動をしています。このHPも同じ目的です。このやり方は月形の町議選では初めてではないかと選管に言われました。しかし、このやり方以外に政策を伝える方法がないと思っています。現に、今回は僕以外に2人の候補が「後援会(政治団体)」を立ち上げたと聞いています。彼らも目的は同じじゃないかと思うのですが?
●違反かどうかは別として、「挨拶回り」という方法であちこちに訪問して歩くのがセオリーだと先輩に教わりました。僕はあまり実行する気がないのですが、その場でひとりひとりに政策を語ってくるものなのか、その疑問は解けていません。政策を語らないなら世間話?うーん謎だ。誰かうちにも来てみて下さい! これは無理ですね。
●「この町の選挙には政策はいらない。」と言った人がいます。「議員の仕事は、関係地域の冠婚葬祭と就職の斡旋ぐらいだから。」とまで言われては黙っているわけにはいきません。「それでいいのかよ!」。
●誰か、候補者に政策をアンケートして公表するとか、立会演説会や、合同討論会みたいなものをやってくれませんかね。選挙で「戦う」というイメージは、「論戦.議論」だと思っている僕には、いまだに戦うべきものが見えてきません。
きっと、「世間話」では負けてしまいます。 |
|
|
|
|
|
|
|
●17年前この月形に引っ越すことを決めたとき、僕は新婚ほやほやの28歳誕生日直前。ずいぶん悩んだ気もしますが、これからの人生を決めるいろいろな要素の中で「環境」を考えた時、はっきりと気持ちが固まったのを覚えています。けして都会育ちとはいえない滝川出身の僕ですが、18歳から過ごした大阪、東京、札幌の生活は、僕の「環境」に関する価値観を大きく変えたのです。
●以前、MJの活動などを通してずいぶんとマスコミの取材を受けました。決まって「月形への移住の動機」を訪ねられたものです。田舎から街へ出て行くのが当たり前で、その逆は珍しかったのでしょうね。柄にもなく「青空と緑の大地、そして美味しい空気」などと答えていたのは、今ではちょっと恥ずかしいけど間違いなく本音です。今では、僕のように「環境」を求め、あえて不便な田舎暮らしをするのがブームにもなっています。
●「環境」はとかく空気のようにいつでも当たり前にそこにあるもののように思われていますが、けしてそうではありません。人の生活が大きく影響して、その条件がどんどん変わっていくものです。17年前の月形には僕の考えている理想の自然環境がありました。しかし、手つかずのように感じていたその環境も、少しずつ変化した17年です。MJのマイクに、もう赤トンボは止まってくれませんし、うちの庭でキリギリスを捕まえることもできなくなりました。「もうこれ以上はいけない。」と強く思っています。
●月形の人が当たり前に感じていることも、別の立場の人から見ると「特別」なことです。月形のゆたかな自然と美味しい空気は、都市圏在住者から見るととても貴重な財産です。しかし、何も手を打たなければ少しずつ目減りしていっているのが現状です。僕はとてももったいないと思っています。
●この財産を運用してはどうでしょう?月形の環境を維持しながら、その一部を彼らに提供し利益を上げ、なおかつ彼らに原状回復の責任も持ってもらう。また、その利益で環境を守り続ける。月形は侵されることなく月形のままであることが、さらに魅力となっていくというのが理想的です。提供するのは、「癒し」や「ゆとり」.「おおらか」.「知恵.工夫」などとセットにした「環境」そのものです。
●月形ではどこにでもある「自然環境」をサービスするのですから、商品に原価がかかりません。必要なのは、販促する知恵と努力だけです。そして一番大事なことは、「来てもらう」のではなく「来させてあげる」という自負がもてるサービスを提供し、常にイニシャティブをこちら側が握っているということです。
●タダのもの(環境)が宝物。信じられないかもしれませんが、これは事実です。月形にはお宝の原石がごろごろしているのです。もちろん僕自身、農地法がなければ15年前には土地を求めて始めていたでしょうね。そしたら、今頃はお金持ちになってたりして。今ならみんなでやればまだ間に合うと思いますが...
|
|
|
|
|
|
|
|
●この町に暮らし始めた17年前、「郷に入っては郷に従え」で何事も合わせていこうと一応は思っていました。でも、あまり時間をかけないうちに「無理だ。」という感じになりました。大袈裟に言うと、タイムスリップした感じでした。約20年分。自然環境にはすぐ慣れましたが、当時の月形の生活習慣と言うより、生活感覚を身につけることができませんでした。はっきり言ってその気になれなかったのです。「オックレッテルゥ!」が正直な感想でした。
●まず、若者達が僕の知っているそれと違っていました。ファッションと車だけはそれなりにその世代を反映していましたが、遊び方や自分の生き方みたいなことになると20年前の感じがしてしまいました。若者文化に限らず女性も、お父さん方も同じような感じでしたし、役場などの役所関係や商店の対応なども「いまどき?」と感じることだらけでした。「あぁ、月形にも今風な人達が住んでいるんだ」と思ったのはよそから越してきた刑務所官舎の奥さん達ぐらいだったような気がします。
●同じ日本に同じような感覚で生きていない人達がいる。確かに戸惑いましたが、次第に僕なりにその理由が分かってきて、今ではほとんど対応できるようになりました。ただ、そういう意味での「月形風」を認めているわけではありませんが。
●17年前といえども時代は情報過多。TV.ラジオ.新聞.雑誌のたぐいは都会のそれと同じに届いていました。「情報で今の日本や世界を知り、自分のスタイルで生きる」のが現代の理想です。しかし月形では、今でも「情報で時の日本や世界を知ったような気になり、昔ながらのスタイルで生きる」といった感じの人が多くいます。極端にすると、大事なのは、代々伝承されてきた生き方で、溢れんばかりの新しい情報は確かめようがないので切り捨てる。したがって、体験したことのある情報だけを利用し、それ以外は認めない。結果、「見た目は今風、中身は20年前」となってしまいます。そういう人達を生み出すやや排他的なその感覚は、月形の発展の妨げになっていたのではないでしょうか。
●子供たちはどうでしょう? その生活のほとんどを狭い地域で過ごす彼らのお手本は、お父さん、お母さん。さらにはおじいさん、おばあさんです。新しくて良いのはTVゲームのソフトくらいで、溢れる情報の中で確かなものは両親達の言動なのです。自ずとその感覚は伝承されていきます。よその街から嫁いだお嫁さんはどうでしょう?同居が原則なら自ずと結果は同じです。よそから越してきた人達は「合わせにくい」とこぼしますが、時間とともに慣らされあきらめていくようです。よそからはいる「新しいもの」はその影響が広がる前に排除されるか、染め変えられていく感じさえしました。
●時代が変わっていく中で月形にも新しい感覚が見受けられるようになってきました。農業後継者やお母さん達に新しい時代のチャレンジ精神が生まれてきている気がします。趣味などの生きがいや楽しみに積極的に関わって活動している人達が増えてきました。以前はなかった新しい事業を始める人も生まれてきています。時代がそれらを求めていますから、当然なのかもしれませんが、やはり評価すべきことだと感じています。
●遅れを取り戻すためにも、積極的に「新しいこと」を取り入れていかなければなりません。そして何よりも「新しい感覚や考え方」を認めて身につけることが必要だと思います。形だけを取り入れて結果を出せなかったり、出せていないことが多すぎます。考え方をきちんと理解して取り入れることができれば、形はむしろどこにもないような月形風のほうが良いのです。町が生き残るためには、よそ者の意見も聞き、新しい考えも取り入れていく必要があります。意識を変えていかないといけません。
●田んぼにヘリコプターが飛び、「ゴジラのたまご」が作られ、遠方から花苗や音楽を求めて人が集まる月形は、まだまだのびていく可能性があります。「新しいこと」をきちんと見極めて、良いと思われることには積極的に目を向け体を張って頑張れば、月形の将来はけして暗いものではないと思っています。 |
|
|
|
|
|
|
|
●昨夜の「選挙速報」は意外な結果でした。4者もつれて再選挙と決めてかかっていましたので、「高橋」さんがこれほどリードするとは思っていなかったのです。結果については、「つまらない」という感想です。北海道の根っこはやはり中央志向の保守王国だったのかとさえ思います。
●北海道の自立が叫ばれて久しく感じています。地元北海道で暮らしていると多くの人の感覚が麻痺していて理解しにくいのですが、北海道は経済的には日本のお荷物なのです。北海道を離れて暮らすとそれがよく分かります。国のお金をあてにしないで自立していかなければならないのはそのためです。豊かな自然や観光資源と豊富な食べ物などから本州の人々からもてはやされているようではありますが、単に安いという理由で利用されているだけの部分も多いと感じています。
●自立するには経済的に立て直し、さらに発展させていくことが必要です。しかし、そのためには政策よりもまず精神論のような気がしていました。まずは道民に北海道の現状を自覚してもらわなければなりません。そして、自立のために必要な原動力として、北海道に対する思いや情熱といったものを醸しだしていく必要があります。いわゆるムードを盛り上げるということでしょうか。その上で前向きな考え方や方法を検討し実行していくべきだと考えています。僕の持論はさておき、いずれにせよ北海道は自立できてナンボのものだと思っています。
●各候補が様々な政策を打ち出していましたが、結局は政党支持の候補か無党派かということしかなかったような気がします。真の北海道の自立の点から考えると、政党が後ろに付いていることはいただけません。本当の北海道らしさを見つけていくためには無党派、そして市民派の自由な視点や発想が必要だと思っています。その意味でも混戦を期待していたのですが。
●今回の結果は、結局一番簡単で無難な道を選んでしまったことになります。自民党の言いなりです。僕はそこが一番つまらないと感じています。また4年間の辛抱です。彼女では再選はできないだろうと思います。北海道には北海道の人間にしか分からないことがいっぱいあることを思い知るに違いありません。
●別な感想ですが、TVなどを見ていると選挙がやっぱりお祭りにしか見えないのは僕だけでしょうかね。500万人の生活を背負っていると感じていたらちょっと違う気がするのですが。また別のことですが、町村別の得票数を見ていたら、意外にも月形の約600名が無党派に入れていました。これはある意味期待できそうです。 |
|
|
|
|
|
|
|
●月形に暮らして、さすがに驚いたのは「冬」。雪は多いし、しばれるし、ちょっと郊外へ出たら吹雪、吹きだまり。まさに自然の驚異だよね。でも、いまはまだいいほうだと思います。きっと昔は除雪もこんなにきちんとしてなかったし、家だってだいぶ違っていたはずだから、本当に大変な生活だったろうと思います。
●そんな「冬の生活」をはじめとして、開拓時代からの先人達の苦労や努力を思うと、自分たちは本当に凄いことをしてきた人達の子孫なんだと思います。なんか、簡単に現代を生きているようで申し訳ない気持ちにもなってしまいます。僕らは本当の意味での「生き方」を知らないまま暮らしているだけかもしれませんね。ハダカにされて自然の中に放り出されたら、いったいどれだけの人が生き抜いてていけるのか、大いに疑問ですもの。
●以前の「思うこと」で、月形のちょっと閉鎖的で排他的な生活感覚が伝承されていることを問題視しましたが、それとは別に、伝承されていて素晴らしいもの、もっと伝承され続けるべきものがあります。それは、開拓時代からの生活の知恵や工夫、まさに生きるため、生きていくための方法やそのための様々な情報や考え方です。
●現代を生きる多くの人は、働いてお金を稼ぎ、そのお金で物や情報を買い、それなりにゆたかだと感じて暮らしています。「生きること」がすっかり経済活動の中に取り込まれてしまっているのです。本当の豊かさや喜びといったものは、必ずしもお金で買えるものではありません。自分の手で成し遂げた達成感や、人との関わりから生まれる連帯感や友情などは売ってはいないものです。ましてや「生きている充実感」を求めたらどこへ行けばよいのでしょう。
●月形で当たり前になっていることの多くを都市圏在住者は知りません。漬け物の漬け方も、山菜の採り方も、あげくにはお米の研ぎ方、炊き方さえもです。街では、それらを知らないことに不安を感じ始めている人達が増えています。先人達から受け継いだ月形ではごく当たり前の生活文化が、彼らにとって価値のある情報になりつつあります。それらがすべて、本当の意味での生きていくための情報だからです。特に、おじいちゃん、おばあちゃんの時代のものは「お話」だけでも貴重です。
●自然を相手に生活を続けてきた人々の知恵や工夫は、そのままが生きるためでした。学校でも「生きていく力」を教えることになった今の時代に、街には教えるべき「生き方」がありません。その意味で、月形のそれらはまさに財産、宝物だと感じています。この財産をうまく活用し、けして失うことのないように伝承し続けていくことが大事だと思っています。もちろんそのためにいろいろ努力しなければなりませんが、必要な知恵や工夫は月形の生活には溢れているのですから心配はいりません。楽しんで、街の人達の先生になりましょう。
|
|
|
|
|
|
|
|
●今回の選挙にあたって現職の議員さんがつくる「議員会」から選挙運動についての申し入れがありました。「選挙カーの運用について、5日間のうち初日、中日、最終日の3日間に制限し、終了時間も1時間早めて午後7時までとすることにしたので、新人のみなさんにもお伝えしておきます。」とのこと。僕個人としては、選挙カーによる連呼行為はあまりなじまないので、「それは良いことだな。」と思っています。ただ、気になるのは「そのこと」を現職の議員さん達が「申し合わせ」て決めたことです。「うるさいから」というなら各自が各自の判断で自粛すればいいことです。選挙戦の武器をみんなで決めて使用制限すれば一見公平な気もするのですが、何か違う気がしています。
●僕は、月形の生活でしばしば遭遇する「横並び」の感覚があまり好きではありません。みんなで合わせるは、みんなに合わせるで、みんなって誰?と思います。どんなことでも必ず最初に主張した人がいると思うからです。たいていの場合、「あの人が言うなら、あの人も言うのなら、じゃ僕も私も合わせましょう。」ということではないのでしょうか。その場合、自分の意見はどこへ行っってしまうのでしょう。少なくても、「あの人の意見に賛成だから合わせました。」と責任を持っていなければいけません。
●月形では人と違ったことをするのに大変苦労する気がします。「横並び」から抜け駆けするのはいけないことだと先輩に言われたことがあります。お店の経営にしても、ちょっと変わったことをするといろいろ言われたものです。しかし、こちらも生活がかかっていますから考えを簡単には変えられません。結果、一部の人達からは「可愛くないヤツ」だと思われてしまいました。でも、現実には可愛く思われていたいばかりにやりたいことを我慢して、損をしたり、チャンスを失ったりしてきた優秀な人達が大勢いる気がしてなりません。必要なのは、やろうとする人のちょっとした勇気なのか、「横並び」を否定する新しい町の空気なのか、その両方の気がします。
●新しい発想は自由な競争から生み出されます。その妨げになるものがあっては、発展や進歩というものが形になりません。停滞した閉塞感が充満していくだけだと思います。そして、不満がつのり、大事な「やる気」を失わせていきます。こういう状態に陥っては、もはや何の夢も希望も持てなくなってしまいます。時代はどんどん人と違う発想で試していくことを要求しています。厳しいようですが、「横並び」という感覚は今までの農業にはびこってきました。まずそこから抜け出す勇気と、それを認める町の空気が必要です。新しい試みにこそ、町の将来に希望をもたらす可能性があると思っています。
●「横並び」は農業だけでしょうか。公務員という一見安定していて若干のステータスを感じさせる職業にも「横並び」ははびこっていませんか?無難に仕事をこなすだけの時代は終わりました。横並びから抜け出せる力を持った人達こそが「新しい町づくり」の担い手になると思っています。公務員にも競争が要求されている時代なのです。そこを認識しなくてはいけないと思います。
●選挙戦という競争に「横並び」の発想で「申し合わせ」をした人達が、本当の意味で新しい町づくりにふさわしいか、僕は疑問です。 |
|
|